Sheena's Hwy61 GALLERY@Jam Open !!

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 鮎川さんとシーナさんの'91年、ブルースの聖地・
ハイウェイ61の旅の記録
としての写真展をHHHで企画、本日よりお二人のホームタウン東京・下北沢は
Tea Break Jamにて2ヶ月のロングラン開催の運びとなりました。
 シーナさん撮影の写真が展示され、鮎川さん選曲のブルース、ロックが流れる
会場は、コーヒーやビールを飲みながら、食事をしながらゆっくりくつろげる
アットホームな空間です。
 鮎川さんとシーナさんの「ブルースの気分」にひたれるとても素敵な写真展
ですので、是非遠くからも足をお運びください。

                         2001年6月1日
                         Hippy Happy House

                         代表 新留 一穂

1. 会場 
 Tea Break Jam
 東京都世田谷区北沢3-21-5ユーワハイツ1F
 (最寄駅:小田急線、京王線 下北沢駅)
 TEL:03-3485-4085

2. 期間
 2001年6月1日(金)〜2001年7月31日(火)

3. 営業時間
 Open am11:00〜pm11:00(last order 10:30)
 ※初日6月1日(金)はpm7:00までの営業
 ※日・祝日 Open am11:00〜pm9:00 お休み 第1・3木曜日
  ランチタイム am11:30〜pm2:30


「ハイウェイ61・リヴィジティッド」というボブ・ディランの5枚目にあたる
最高のアルバムがある。「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」と
いう4枚目のアルバムがボブ・ディランとロックン・ロールの出合いがしらの1枚
とすれば、「ハイウェイ61」はそれを完成させたアルバムだ。シングルカットさ
れた「ライク・ア・ローリング・ストーン」が全米のヒットチャートに載って、
ラジオでもばんばん流れていたのが65年。その「ハイウェイ61」という言葉から
僕はブルースに出会い、フレッド・マクダウェルの同名異曲は、後に作ったバンド
初期のサンハウスの必殺のオープニング・ナンバーだった。僕にとっては後の人生
を左右する、いや、いまだに影響されているキーワードだ。
 5年前には、その"ハイウェイ61"を、グレートハウンドバスに乗って始発のニュ
ーオリンズから北上する旅をした。ずーっと夢に見ていたことを、思い立って
シーナとふたりで決行したのだ。
 そのツアーの終点は、ブルースの聖地、そして、あのロバート・ジョンソンが
悪魔と魂を引き換えに一夜にして才能を手にした伝説の四ツ辻、ハイウェイ61と
ハイウェイ49が交差する
クロスロードのある町、ミシシッピ州クラークスデイル。
ロックンロールの父親であるブルースは、ミシシッピ河にそって、メンフィスから
ヴィックスバーグにいたる広大なデルタ地帯の綿花畑の中から生まれた。
そして、このクラークスデイルは、かつて綿花の集散地として東西と南北に延びる
鉄道とともに栄えた町だったが、この飛行機とスーパーハイウェイの時代には、
すっかり取り残されてしまって、今は、一見平和な、ただの田舎町といったところ
だ。
 それでも、有志によってここに「デルタ・ブルース・ミュージアム」という博物
館が建てられ、ブルースの遺産を守りながら維持されているという記事を、アメリ
カから送られてきた「ギター・マガジン」の特集で見たとき、なんとしても一度は
行きたいものだと、僕はチャンスを待っていた。この町はずれの農場に住んで、
ここから出て、シカゴ・ブルースの帝王として君臨した、ローリング・ストーンズ
の名づけ親でもあるマディー・ウォーターズの住んでいた、今でも残骸の残る掘っ
建て小屋の材木から、ZZトップが、2本のギターを作り、そのうち一本をここに
寄贈しているという記事にも興味をそそられた。
 チャーリー・パットンから、サン・ハウス、そしてロバート・ジョンソンをへて
マディをはじめとしたハウリング・ウルフ、エルモア・ジェイムス、さらに、この
町の出身でもあるジョン・リー・フッカーたちによって開花したシカゴ・ブルース
・・・・すべてのロックンロールの源の象徴として、このクラークスデイルという
町が、僕には、とっても重要な意味を持つことになった。
 40年代、ブルースの女帝、ベッシー・スミスが交通事故で息をひきとった病院
を改造して、後に、多くのブルースマンが常宿にしていたリバーサイド・ホテルに
ほんの3泊だったけれど僕らも滞在して、たくさんの人と出会い、最高に幸せな時
を過ごすことができた。ちなみに、今では
「デルタ・ブルース・ミュージアム」
には、インターネットでアクセスができるようになっている。あのとき、僕らを迎
えてくれ、そして、僕らが帰った後、東京訪問のお礼にポストカードを出してくれ
た館長のジョンも、ホームページで健在と知って嬉しい。
 銀色のグレイトハウンドバスで朝の10時にニューオリンズを出発してハイウェイ
61を11時間かけてたどっていく旅は、最高の体験だった。その旅も、すべては
ボブ・ディランのアルバムから始まったことだった。

                       「DOS/V ブルース」鮎川誠



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